2011年、3月11日、午後2時46分。
未曾有の大地震とそれに伴う津波が日本を襲いました。
東日本大震災です。
私はその日、福岡に住んでいましたので、直接被災はしていません。
しかし、その後、仕事の関係で2015年から宮城県に住みました。
その宮城県、東北地方で出会った方々は、被災され、悔しさや悲しみを抱えながらも、力強く、前向きに、思いやりと絆で困難を乗り越え、今の東北を、未来の東北を大切に生活されています。
微力ではありながらも、この東日本大震災を私の中でも、また、この記事を読んで頂いている皆さまにとっても風化させず、語り継がなければならないと思い、書くことにしました。
東日本大震災規模
2011年3月11日、午後2時46分。
三陸沖を震源とするマグニチュード9・0の地震が起き、最大震度は7、そして9・3メートルにも及ぶ津波が日本に襲来しました。
地震の規模は観測史上、日本最大級。
世界でも1900年以降、4番目の規模の地震でした。
地震により発生した大規模な津波は、最大で海岸から6km内陸まで浸水。
岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8〜9メートルに到達。
また、地震と津波を要因とする福島第一原子力発電所事故が発生し、10万人を超える被災者が屋内退避や警戒地区外へ避難を余儀なくされました。
死者15,900人、行方不明者2,523人、震災関連死者は3,775人(2022年3月1日時点:警視庁)。
甚大な被害となりました。
私が訪れた被災地
陸前高田「奇跡の一本松」
岩手県陸前高田市にある高田松原跡地に立つ、松の木です。
東日本大震災による津波の直撃を受け、7万本もの松の木がなぎ倒されて壊滅してしまいましたが、松原の西端近くに立っていた一本の松が津波に耐えて、立ったままの状態で残っていました。
それにより、この木は震災から復興への希望を象徴するものとして捉えられるようになったんですね。
しかし震災後、この松の木を保護する活動が続けられていましたが、根が腐り枯死と判断されてしまいます。
それでも震災から復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、補強や枝葉の複製により、元の場所に再び立てられています。
左側の写真の奇跡の一本松の奥に映っている建物は、津波で全壊した陸前高田ユースホステルの建物です。
私もこの地を訪れましたが、その時の建物がそのまま残っており、津波の被害の大きさを感じました。
現在、この奇跡の一本松のある場所は令和元年9月22日にリニューアルオープンした『道の駅 高田松原』にあります。
この地は高田松原津波復興記念公園で、敷地内には、
「国営追悼・記念施設」
「東日本大震災伝承館」
も併設されています。
この伝承館も訪れましたが、本当に津波の恐ろしさ、被害の大きさを感じます。
ぜひ、一度足を運び、目で見て、感じとっていただければと思います。
気仙沼「東日本大震災遺構」
⬆︎こちらは東日本大震災遺構の公式プロモーションビデオです。
ぜひ一度ご覧ください。
この東日本大震災遺構は気仙沼向洋高校の跡地にあります。
この地域はかつて大地震があった経験からとても防災意識が高く、このような甚大な被害が起きたにもかかわらず、向洋高校の生徒のみなさんは全員無事だったとのことです。
卒業式直前の震災によって延期となりましたが、改めて開催された卒業式で話をされた卒業生の少年のお話がとても感動し、涙なくしては聞けないお話です。
詳細はよろしければ下記記事をご覧ください。
「絆」で結ばれた東北
私が東北で過ごした期間、たくさんの方々と出会いました。
震災によりご家族、知人を亡くされた方、住む場所を無くされた方、仕事を失った方。
でもみなさまに共通していることは、
未来に向けて力強く進んでいる
ということです。
私はサロンを開業を目指す方のサポートを行なっています。
出会ったオーナー方はみなさま苦難を乗り越え、強い決意で頑張っておられます。
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震災でご家族を亡くし、落ち込んでいた時に出会ったエステ。
そのエステに癒され、自分も誰かを癒してあげたいとサロン開業を決められた方。
その想いのもと努力を重ね、現在は素晴らしいサロンオーナーとして多くの人々に癒しを届けていらっしゃいます。
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また、ある方は、もともと福島でサロンをされていましたが、福島第一原発の警戒区域の為、茨城県に引っ越しをされました。
お客様はみんなばらばらになってしまったので、知り合いのいない茨城県で一からのスタート。
でも今は、福島での時よりもさらに素晴らしいサロンを経営されています。
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この他にも何百名ものサロンオーナー、お店の店長が被災されましたが、現在もイキイキと活動されています。
本当にみなさま力強いです。
そして、仲間意識と一体感、協力関係がとても強いです。
大変な経験をされ、みんなで困難を乗り越え、復興していこうという、「絆」で結ばれた関係があるからなんですね。
震災から11年が経ち
東日本大震災から11年が経ちました。
私たちはこの未曾有の震災を風化させてはならず、一人一人が心に刻んでいくことが大切だと思っています。
年に1度でもこの3月11日にこの日のことを考え、また未来に向けて私たちができることをしていく必要があると思います。
それは、
・この東日本大震災を後世に語り継ぐ
・これからの災害に対する対策をとる
今後、日本や世界においても災害は起こります。
大きな被害を出さないためにも、私たちがこの特別な日に、東日本大震災のことを考えるとともに、これからの防災対策をとっていくことが、大切だと思います。
それでは今回はこのあたりで。
本日もありがとうございました。
コメント
東日本大震災の記事、ありがとうございます。
読ませて頂きました。
震災も11年経ち、風化されつつある3月16日に福島県沖で震度6強の地震がありました。
我々に再度、防災意識の手綱を緩めるな!と言っている気がしました。
色々な想いを繋いでいかなければなりませんね。
ゆうめいさん、ありがとうございます。
震災の日はやはり色々考えてしまいますね。
どこで何があるか分からない今、高い意識と対策は大事ですねよね。